歌舞伎は、日本人が生み出した世界に誇りうる最高の伝統的、舞台芸術の一つである。
三百数十年前、庶民大衆の中から生まれた歌舞伎も、時代の移り変わりの中で大きく変貌しながら伝統的な古典芸能として保存、継承されている。それは歌舞伎が持つ、人間の本質、性格、美を具現する姿に、現代人として共鳴できるところがあるからである。諸外国で歌舞伎が高く評価される理由も、まさにここにあると言わざるを得ない。
しかしながら、映像や活字による文化が氾濫し、生活形態や意識が多様化している現代においては、落ちついて歌舞伎を鑑賞しようという若者は少なく、このまま放置しておけば伝統ある歌舞伎が衰退してしまうのは目に見えている。さいわい、国立劇場がある東京においては毎年、高校生や一般むけの歌舞伎鑑賞教室が開催され、その地道な活動によって若い世代の観客が増えている。
一方、関西、とりわけ大阪における歌舞伎界の現状は不安そのものの状態である。それは、例年五月に上演されてきた顔見世が、今年より姿を消したことでもわかろう。さらに、現在、約三百名余りの歌舞伎役者のうち、関西出身者は約五十名であるが、その半数以上は東京に住まなければ仕事に支障をきたすという問題もある。
井原西鶴、近松門左衛門という、近世日本の巨匠を生みだした、上方文化の面影はどこへいってしまったのだろうか。もともと関西は、日本文化の発祥の地であり、歴史的、精神的なふるさととして、以来今日まで日本文化の発展に貢献してきた。
関西の復権やルネッサンスと呼ばれ、いま精神的、文化的な真の豊かさを実現するための実践がなによりも求められている。幸い、昭和五十八年度には大阪に国立文楽劇場を完成させ、多目的に使える関西文化復興のための殿堂にしようという構想がまとめられた。しかし、その完成を待っているほど時間的余裕は残されていない。今から青少年や勤労者を中心に歌舞伎人口を広範囲に育てあげなければならない。
大阪に生まれた文楽は、関係者の献身的な努力で若者の中に関心を持つ者が増えている。
一方、歌舞伎はまだ、これからの一層の努力が待たれているのである。文化の育たないところに、経済の発展と豊かな市民生活の向上は望めない。
関西を文化砂漠にしないため、いま市民一人一人の自覚と参加がなによりも求められている。
伝統芸能を次代に伝える義務が我々に課せられているのである。
関西で歌舞伎を育てる会は、歌舞伎についての関心をみんなで深めるとともに、より多くの人が観劇するよう、市民ぐるみの活動をしようとするものである。
どうか、この会に一人でも多くの方が参加され、行動を共にされんことを切望するものである。
(昭和53年12月20日、結成)
関西・歌舞伎を愛する会、会則
第1条 | この会は、関西・歌舞伎を愛する会と称し、事務局は大阪市中央区谷町2ー7ー6 みのるビル4階に置く。 |
第2条 | この会は、日本文化の発祥の地である関西において、世界に誇るべき伝統芸能で ある歌舞伎を興隆し、次代に伝えていくことを目的とする。 |
第3条 | この会は、目的達成のため次の活動を行う。 ①歌舞伎について認識を深めるための広報、啓蒙活動 ②歌舞伎の上演に対する援助、協力 ③関西文化の復興に関する活動 ④その他、目的達成に必要な活動 |
第4条 | この会の会員は、歌舞伎や関西文化の復興に関心を持ち、目的達成のために自ら が参加、行動するもので構成する。 |
第5条 | この会は、次の役員を置く。 ①顧問 ②代表世話人 ③世話人 ④監事 ⑤専務理事 ⑥事務局長 ⑦事務局次長 |
第6条 | この会の運営は、法人会員と個人会員の会費、及び寄付金で行う。 |
第7条 | この会の会計年度は、毎年4月1日より翌年の3月末日までとする。 |
第8条 | この会則は、昭和53年12月20日より施行する。 この会則は、昭和54年12月21日より一部改定し施行する。 この会則は、昭和55年4月30日より一部改定し施行する。 この会則は、平成4年4月1日より一部改定し施行する。 この会則は、平成5年10月29日より一部改定し施行する。 この会則は、平成6年3月10日より一部改定し施行する。 この会則は、平成10年1月22日より一部改定し施行する。 |